活字は生きている(狂気)


まずはお礼をば。
 

小生、粗忽者であるが故、つい先程アクセス解析なるものの存在を知ったのだが。
考えていたよりも多くの人がブログを読んでくれているようだ。
ありがたい。
 

知り合いの変人が一人二人読むかどうか、と思っていたら二桁だ。
驚いた。

 
感謝感激猫灰だらけ、五体投地でご挨拶ってなもんである。
 



いやまあ、それにしてもなんだい。
人妻の回、読んでくれた人はどう思ったのかね。
次の人気の話はかなりまともだったのだが、こういう気違いが書いているのだ、ということがわかってもらえただろうな。


これで初っ端から読者を減らしていくのは面白いことではあるが。
 



少し欲張ってお願いをしよう。
私のブログのネタは、ほんの些細な違和感やら疑問やらを考察して書き上げるのだが。


ぜひネタを恵んでください。
 

ツイッターでもブログのコメントでも構わん。
なんか投げてくれたらネタになるかもしれません。
どうぞよろしく。
 
 



とまあ、お礼と身の程知らずのお願いはここまでにして、今日は私自身の趣味について語ろう。
三回目にしてやっとブログっぽいじゃないか。





私は本を愛している。


愛さぬ理由がない。
三度の飯より、とはよく言うが、マジだ。
マジもんのマジでガチである。



幼い頃、私の家の周りには同年代の子がいなかった。
いたにはいたんだが、あまり遊ばなかった。
そうすると、必然引きこもって遊ぶ羽目になる。



当時我が家は鎖国していたので、ゲームという文明は開化してなかった。



まずハマったのが折り紙だ。
これはもう腐るほどやった。
今でもチョコとかアメとかの包装紙で鶴を作って喜んでいる。
馬鹿である(直球)。
 
 

次がお絵かき。
これも腐るほどやったが、可愛くねえことに白黒デッサンだ。
色塗りという過程が理解できなかった故だ。
そのため今でも色塗りができない。
三つ子の、とは言い得て妙だ。



そして最後に、読書である。
これは腐るほど、ではない。
実際に腐っている。


本当にそれしかしてなかった。
 

起床→読書→朝食→読書→昼食→読書→昼寝→読書→夕食→読書→就寝
 

これが母から聞いた四歳当時の私の一日だ。
 


いや、馬鹿だろ?
 


絵本から漫画まで、読んだ読んだ。
多くをというより読み返しが多かったんだが。



そもそも家に本がいっぱいあって、読んでくれ、と訴えているのである。
読まない理由があろうか、いやない(反語)。



少しくさいことを言わせてもらえば、本とは私にとって知らない世界を教えてくれる師匠であり、会話してくれる友人であり、導いてくれる先達なのだ。
 

私は本に育てられたと言っても過言ではない。
 
 

 
まあ、こういうひねくれた人間が出来上がっているのを見ると、我が家にどういう本が置いてあるのかは言わぬが花、というやつだろう。



それはさておき。


私はひどい悪食だ。
何でも読む。
純文学、ファンタジー、SF、ミステリ、サスペンス、アクション、政治、科学、哲学書、宗教、漫画、エッセイ、詩、近頃はラノベだって読むし、この前はBL系まで読んだ。



とにかく面白ければいいのだ。
ストーリー展開、キャラ設定、状況構築、表現力、どのカテゴリだろうが、なんでもいい。
面白ければ読む。
面白くなければ読まない。
そうやって本屋を物色するのが楽しみの一つである。
 

 
よく本を薦めてくれる人はいるが、皆薦める時躊躇うようだ。
自分の好きなものが否定される可能性があるわけだから当然だけども。
 


私が本を薦められたとき、必ずすることがある。
私は否定する前に読む。
読んでから納得できない部分とか合わないな、と感じるところを激論するのだ。
これが実に楽しい。



まあ私に本を貸してくれたりする人って変わった人多いんだけども。
だからあんまり合わなくないんだな。
「これ良かった!」
「でしょう!」
で盛り上がって終わり。
 

 
何が言いたいかというと、否定する前にまず経験、というのが大事。
『人の靴を履いてみるまでその人のことを否定してはいけない』
ネイティブアメリカンに伝わることわざだが、これに尽きる。



だから、私はキリスト教を糾弾しようと考えたとき聖書を読んだ。
クルアーンは手に入らなかったので未だISはそれほど糾弾していない。


遺跡壊したのだけは許せん。
 

命より重いもの、などとは言いたくないが、数多の人間の命を負ってきた美術品を壊すということは、同じだけの数の人間を再び殺すことに等しい。
そこだけは決して、許すことができない。




話が逸れまくっている。
私が本を愛する理由というのはなんだ、という話だったかな?

タイトル通りだ。
書物の文字には力がある。


古今東西多くの思想が生まれ、消えてきたが、後世の我々はその一端を垣間見ることが出来ているのだ。
これを幸運と呼ばず、何を幸運と呼ぼう。
 

書物は思想の凍結、とはかの湯川秀樹先生がおっしゃったことだが、なるほど、核心をついている。
 

私はその力に触れ、思想に触れ、その時代を旅する。
その高揚感と未知への好奇心、そして狂おしいまでの興奮と中毒性こそが私が本を愛する理由だ。


ぜひ一度その世界に身を委ね、溺れる経験をしていただきたい。
歓迎しよう。
本という名の奈落は、かくも深く澄んでいるのだ。
 
 
 
 


いや、溺れずに勉強しろよ。
 



…真面目な話をかっこつけてする、という慣れないことをしたので疲れました。
次回はもっとかるーくゆるーくいきますよ。


次は実写化について書きましょうかね。


それではまた。
お題、よろしかったら投げてくだしゃんせ。