戦争について思うこと

 


 久しぶりに声を上げたいことがあったので書いてみようと思う。
 
 我が友S氏にブログを褒められた、というのも理由だが(感謝)。


 
 今日は原爆が広島に投下された日である。

 八月六日午前八時十五分。
 この時間は多くの人が記憶していることと思う。

 今なお残る負の遺産、忌まわしき小さな太陽を、人類が初めて認識したときであった。



 私は実にこの日、その前後が憂鬱だ。

 愚にもつかないようなお涙頂戴番組がテレビを占拠するからである。

 まじでやめてほしい(切実)。



 正直に言おう。

 「もう良くね?」

 と、思う人は少ないだろうか?
 一定数いるのではないだろうか。



 こんなことを言うと、「若い世代はこれだから」とか「戦争を知らないからそんなことを言うんだ」とか「また戦争が起きる」とか、実にくだらないことを頭の硬い、いわゆる『識者』やら『大人』やらが声高に語りだし、私を責めるかもしれない。


 ならば、問おう。

 「伝え引き継いだところで、戦争はなくなったか?」

 第二次世界大戦後、世界は多くの戦争に巻き込まれてきたじゃないか。
 

 
 敗戦直後の苦しい時代、朝鮮戦争の特需景気で糊口を凌いだことを忘れたとは言わせない。

 ベトナム戦争では多くの死者が出て、アメリカには大きな傷を残した。

 冷戦、湾岸戦争だってある。


 何が平和か?



 戦争の悲惨さを語り継げば、後世に伝えれば、平和になるだなんて、馬鹿言っちゃいけない。

 そんな単純な話なら、日本の戦争は『壬申の乱』くらいで終わっている。



 語り継ぐことで日本の平和は保たれている?

 アメリカの核の傘の下、周囲の国々に脅されながら安穏と過ごした七十年を『我々の平和』と胸を張れる恥知らずなどいない、と信じたいものだが。



 戦争は、罪だ。
 
 いろいろなものを奪い、壊し、辱める。

 我々が原初より背負い、これからも永劫背負わねばならぬ業である。

 しかし、それと、悲惨さを被害者にかこつけて公共の電波で垂れ流すことは関係がない、と私は思う。



 戦争の時代を実際に生き延びた人たちも、もう大分少なくなっている。

 いつも気になるのは、彼らが戦争を語るとき苦しげに顔を歪めることだ。

 辛そうな彼らの口をこじ開け、マイクを突っ込むようなマスコミには、ほとほと呆れ果てる。

 
 「戦争と性行為について、未経験者は語りたがり、経験者は口を噤む」


 どこかの国の軍人の言葉であったと思う。
 少々品はないが、実に言い得て妙であろう。


 平成を生きる我々が先の大戦を経験することはできず、我々は未経験者という立場に甘んずることしかできない。

 経験者になりたいわけでもないが。


 ともかく、そんな立場の我々が、口を噤む経験者にむりやり口を開かせるという無邪気な悪意を感じるがゆえ、私はこの期間のテレビが嫌いなのだ。




 戦争を賛美しているわけではない。

 もちろん、戦争は恐ろしく、また醜いものである、と教えることもある程度は大切であると思う。

 しかし、毎年毎年同じようなお涙頂戴番組を見せられる視聴者のことも考えたほうが良い。


 その苦労話を垂れ流すことが、どれほど戦争の存在を軽くしているか、多くの頭が硬い『識者』たちは理解できないのだろう。

 自分たちが実際に経験したわけでもない、脳内お花畑の愚物どもが、嬉々として戦争反対という自己陶酔プレイに没入しているとき、我々の戦争への意識は著しく下がる。


 個人の苦労話は人々の共感を誘うが、過去の被害者に募金は出来ない。

 未来を生きている我々は、個々人の悲哀よりも戦争の原因と諍いや争いの調停をすべきだと言うのに。




 そもそも、だ。

 広島は確かに大変な被害を被ってはいるが、悲惨さで言えば、同じく小さな太陽の餌食になった長崎や大空襲を受けた東京などの都市群、そして最大規模の地上戦が展開された沖縄なども挙げられる。

 広島を特に持ち上げる理由がわからない。


 原爆という珍しい兵器の破壊の跡に野次馬根性で乗り出して、ケーキにたかる蟻か、腐肉に群がるハイエナのようにむりやり過去をほじくり返しているようにしか見えない。

 私が捻くれているから、という理由だけではないだろう。

 ある意味では、人類は未だ原爆に夢中で、核に囚われている、と言える。



 正直に言えば、相当な阿呆か破滅主義者でもなければ、今後核なんてコスパの悪いものをどうやって使うというのだ。

 使った時は素晴らしい破壊力かもしれないが、残りの汚染はどうするのか。

 下手に使えもせず、失敗すればその地域、はたまたその大陸の作物にまで影響を与えるのだから質が悪い。


 流石にお隣の国も、極東で心中を図りはすまい。
 …しないよね?(不安)



 兎に角である。

 死者を悼むことは大切ではあるが、どこか大切なことを見誤ったような放送など、我々には必要なかろう。

 人を殺したくなるほど眩しい太陽の下、陰々鬱々とした番組を見せられて耐えられるほど、精神を鍛えてはいない。

 いい加減、戦争を語る自分に酔う勘違い共には周囲との温度差を教えてあげたいものだが、残念なことに彼らの頭の中には小さな太陽が鎮座ましましているため、常に頭が茹だっているのだ。

 話を聞いてくれるはずもない。

 きっと彼らは1945年8月に囚われ、3Cの一つ、偉大なるクーラーという宝具をご存知ないのだろう。

 哀れなことである。



 私は終戦記念日に軽く黙祷することにしている。

 それ以外のことをするつもりはない。

 それぐらいでちょうどいいだろう。


 阿呆に踊らされて行き過ぎた戦争憎悪の風潮は、かえって戦争の存在を軽くしていることを忘れてはいけない。

 我々に必要なのは『戦争が起きた』ことではなく『なぜ戦争が起こったのか』だし、大切なのは『語り継ぐ』ことではなく『戦争を起こさない』ことなのだから。








 毎年八月に忌々しく思うことを書いた。

 社会派を気取っている感じだが、ただ苛ついただけである(台無し)。

 では、また次回(ネタがあったら)。